内緒で殺してしまおう。


 目を覚ますと煌々と明かりがついたまま、ソファに横になっていた。身体を起こすと、毛布がはらりと床に落ちた。暫くの沈黙の後、私はそれを手に取りきゅっと強く握り締めた。
 部屋で雑魚寝をしているのは、郊外に一軒家を建てた私達夫婦の元へ新居祝いに来てくれた、旦那の高校時代からの親友達。昔から私も仲良くさせて貰っている面子だった。久し振りに逢った彼等の寝息が聞こえ、それがなんとも微笑ましく自然と顔も綻ぶ。
 もう春なのにまだまだ肌寒い、今日もそんな夜だった。私は一枚だけカーテンの開いた硝子戸を発見すると、皆を起こさないようにそちらへ歩み寄り、戸をそっと開けた。サンダルを突っ掛けると、かじかむその足でまだ何も無い庭に降り立った。そして声を掛ける。暗闇に佇む、部屋で一つだけ見つからなかった見慣れた後ろ姿に。
「広田君」
 程なくしてゆったりとした返事が耳に届く。
「ああ、起きたのか」
「私が寝た後も飲んでたの?」
「まあね。お前の旦那は相変わらず酒、弱いな。それとお前、さっき寝言、言ってたぞ」
「嘘。私、何か変な事言った?」
「……相変わらず騙され易いな、お前」
 懐かしい遣り取りに頬を膨らませて、私は顔を背けた。緩んだ口元を見破られたくなかった。そんな事をしなくても月明かりさえないこの暗闇の中では、私の表情など読み取れないだろう。それ以前に、広田君は一度も振り返ろうとすらしていない。
 いつだってそうだ。いつも広田君の後ろ姿ばかりを見ていた。降り注ぐ声だけが安堵感に変化し私の体内でこっそりと反響し続けていた。しかしその柔らかな声が次に齎したのは、全く正反対のものだった。
「俺、近々結婚するかもしれないわ」
「え……?」
「お前んとこと、どっちが早いか競争だな」
「……何が?」
「子供」
 そっと目を閉じて深呼吸をする。やはり、この想いは殺してしまうしかないのだ。終わらない螺旋を途切れさせなければいけない。それなのに出て来るのは、溢れ出る感情をひた隠しにした精一杯の強がりだけだった。
「子供が出来たら、広田君の名前から一文字貰おうかな」
「それは光栄。俺みたいな天才になれるぞ」
 そんな自信に満ちた冗談を込めた温かな声を聞きながら、今にも呑まれそうな黒い空を見上げ、後ろ姿へと伸ばしかけていた手を静かに戻した。

「広田君」
「ああ?」
「毛布、ありがとう」
 焦るように振り返った広田君に、私は初めて真っ直ぐと微笑みを浮かべた。<了>


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